ペルシャ絨毯の歴史・生まれた背景
ペルシャ絨毯は、イランを中心に生産される伝統的な手織りの絨毯で、世界で最も有名な絨毯の一つとされています。ペルシャ絨毯の歴史と背景は、数千年にわたります。また、ペルシャ絨毯は、美しいデザイン、高品質な材料、職人の手作業による製作といった要素から、イランの芸術と文化の象徴とされています。ペルシャ絨毯は世界中で高い評価を受け、美術品としてだけでなく、実用的な家庭用品としても愛用されています。その背景には、長い歴史と文化的な価値が影響しています。
こちらの記事ではペルシャ絨毯の歴史と生まれた背景について解説していきます。
ペルシャ絨毯の歴史
ペルシャ絨毯の歴史は非常に長いもので、イラン(旧名:ペルシャ)における織物の伝統は数千年にわたります。
ペルシャ絨毯の起源は紀元前紀にまでさかのぼります。古代のイランで、羊毛と他の天然繊維を使用して手織りの織物が製作され、これが絨毯の原型となりました。この時期の絨毯は、シンプルで幾何学的なデザインを持つことが一般的でした。
7世紀にイスラム教がイランにもたらされると、ペルシャ絨毯にはイスラムの文化的・宗教的要素が取り入れられるようになりました。イスラムのアラビア文字や幾何学的な模様が絨毯に組み込まれました。
ペルシャ絨毯の発展は、サファヴィ朝時代(16世紀から18世紀)に隆盛を迎えました。この時期には、宮廷で高度な技術と芸術的なデザインの絨毯が制作され、ペルシャ絨毯は国際的に高く評価されました。サファヴィ朝は芸術と文化の支援に尽力し、絨毯は贅沢品として広まりました。
ペルシャ絨毯の製作は現代においても続いており、イラン国内で多くの地域で手織りの絨毯が製作されています。伝統的な技術とデザインは守られ、現代の絨毯にも反映されています。
ペルシャ絨毯はその美しいデザイン、高品質な材料、職人の手作業による製作といった要素から、イランの芸術と文化の象徴とされています。ペルシャ絨毯は世界中で高い評価を受け、美術品としてだけでなく、実用的な家庭用品としても愛用されています。
ペルシャ絨毯の生まれた背景
ペルシャ絨毯の歴史は紀元前500年にまで遡ります。古代のペルシャ地域で、羊毛や他の天然繊維を使用した手織りの織物が生産されていました。これらの織物は、床に敷くための簡単なマットから始まり、時が経つにつれて美しさと複雑さが増していきました。イランは乾燥した気候条件を持つため、家庭用品や床材としての絨毯が重要でした。絨毯は床の断熱材として機能し、寒冷な冬季に暖かさを提供し、夏季には冷たい床に対する快適な敷物として利用されました。7世紀にイスラム教がイランに広まると、ペルシャ絨毯にはイスラムの芸術的な要素が取り入れられました。アラビア文字やイスラムの装飾パターンが絨毯に組み込まれ、宗教的な意味を持つデザインが創造されました。
17世紀から18世紀にかけて、ペルシャ絨毯はヨーロッパに輸出され、ヨーロッパ貴族や富裕層の間で非常に人気がありました。これがペルシャ絨毯が「オリエンタルラグ」や「オリエンタルカーペット」として知られるようになった理由の一つです。
ペルシャ絨毯の芸術性
ペルシャ絨毯はその卓越した芸術性で知られており、多くの点で芸術品として高く評価されています。ペルシャ絨毯のデザインは非常に繊細で複雑であり、幾何学的な模様、花々、動植物、人物、風景、抽象的なデザインなど、多彩なモチーフが組み合わされています。これらのデザインは手作業で織られ、絨毯全体に対称性やバランスを持たせるために精巧に計算されています。ペルシャ絨毯の色彩は美しさと豊かさを追求しています。絨毯製作に使用される天然染料は、鮮やかな色調と耐久性を提供し、絨毯の美しさを際立たせています。絨毯の色彩は、季節、地域、制作者の好みに応じて変化します。 ペルシャ絨毯は職人の手作業によって製作され、その職人技術は非常に高度です。糸の結び方、ノットの密度、模様の正確さ、細部への注意などが高度な技術と経験を必要とします。1平方インチあたりの結び数は非常に多く、1平方メートルの絨毯に数十万のノットが含まれていることも珍しくありません。ペルシャ絨毯にはペルシャ文化と歴史の要素が反映されており、宗教的なシンボルや伝説、詩の一節などがデザインに含まれることがあります。絨毯はしばしば物語を語る媒体として機能し、文化的な価値を持っています。一部のペルシャ絨毯は、有名なアーティストや職人によって制作され、そのサインや署名が施されていることがあります。これらの絨毯は芸術品として高く評価され、コレクションや美術館に展示されています。ペルシャ絨毯はその芸術性と品質の高さから、世界中で美術品として高く評価され、多くのコレクションや展示会で見られる重要な芸術作品の一部とされています。絨毯製作の伝統は長い歴史を持ち、現代でも続いており、イランの文化と芸術の象徴的な要素となっています。
日本への伝来
ペルシャ絨毯はイランの織物として歴史がありますが、この絨毯が日本へ伝来した事に関しても長い歴史があります。ペルシャ絨毯が日本へ伝来したのは桃山時代で、中国やシルクロードを経由して、日本へと渡ってきたものと考えられています。当時、権力者であった豊臣秀吉が絨毯の美しさをとても気に入った事で、絨毯を裁断させ、身にまとう陣羽織とさせました。ペルシャ絨毯の産地であるイランと日本での共通点として、いずれも欧米のような土足の文化ではなく、室内では靴を脱いで生活するという点です。そのような生活習慣の共通点もあるためか、日本の生活にも絨毯が受け入れられる事となりました。
日本では祭りの文化との関わりも深く、京都の祭りで有名である祇園祭りでは、17世紀に伝わったと考えられている絨毯が、山鉾を飾っている懸装などにも使われている事があります。そのため、日本の祭りの文化にも昔から深く関わっているという事があります。日本で人気である生産地の絨毯がナインで作られたものです。織物としての歴史は100年ほどなので、ペルシャの絨毯と比較すると長いわけではありません。しかし、ベージュなどの色合いから人気があります。
ちなみに、日本へ伝来したとされる絨毯の文献で最も古いものは、魏志倭人伝にて邪馬台国の卑弥呼に、朝貢の答礼として絨毯のような敷物が贈られていた事が記されています。さらに、遣唐使による工芸品には、花氈というフェルトが使われており、今でも正倉院宝物として残されているものです。本格的に日本へ絨毯が入ってきたのは17世紀以降と考えられています。
パジリク絨毯とは
パジリク絨毯は、世界で最も古い絨毯の一つとされています。この絨毯は、ロシア、アルタイ山脈のパジリク墓地から発見され、紀元前5世紀のスキタイ人の墓から出土しました。パジリク絨毯は、その美しさと歴史的な価値により、織物の世界で特筆すべき存在です。パジリク絨毯は紀元前5世紀に遡り、スキタイ人の墓で発見されました。この絨毯は、パジリク墓地の1つであるパジリク5号墓から出土しました。絨毯は永久凍土に保存されており、その保存状態は非常に良好です。パジリク絨毯は、鮮やかな赤と青の色調で知られており、幾何学的なデザインや抽象的な模様が特徴です。絨毯の中央には大きな中心模様があり、周囲に複雑な幾何学的な模様が配置されています。パジリク絨毯は約6.5フィート(約2メートル)の幅と、約6.5フィートの長さを持つ、正方形に近い形状の絨毯です。パジリク絨毯の製作には、結びの技術が使用されています。結びの密度が高く、1平方インチあたり約3600ノットも存在します。この高密度のノットは、絨毯の美しさと耐久性を提供します。パジリク絨毯は1949年にソビエトの考古学者セルゲイ・ルドエンコによって発見され、永久凍土の中で保存されていたために良好な状態で見つかりました。絨毯は現在、エルミタージュ美術館などで公開展示されています。
パジリク絨毯はその古代の起源、美しいデザイン、高密度のノット、および保存状態の良さから、織物芸術の歴史的な宝物とされています。この絨毯は織物の芸術における重要な一部であり、古代のスキタイ文化の貴重な証拠となっています。
実在する最も古いペルシャ絨毯
実在する最も古いペルシャ絨毯の中で、特に有名なのは、前述のパジリク絨毯です。この絨毯は紀元前5世紀に遡り、ロシアのアルタイ山脈にあるパジリク墓地から出土したもので、スキタイ人の墓から発見されました。この絨毯は美しいデザインと高い技術で知られており、織物の歴史において特筆される存在です。
パジリク絨毯は、約6.5フィート(約2メートル)の幅と、約6.5フィートの長さを持つ正方形に近い形状の絨毯で、赤と青の鮮やかな色調が特徴です。絨毯の中央には大きな中心模様が配置され、周囲には複雑な幾何学的な模様が散りばめられています。特に注目すべきは、この絨毯が約2,500年以上前に製作され、永久凍土に埋もれて保存されていたにもかかわらず、その状態が非常に良好であることです。
この絨毯は、織物の芸術の歴史的な宝物であり、古代の文化や技術の貴重な証拠となっています。したがって、パジリク絨毯は実在する最も古いペルシャ絨毯とされています。
まとめ
ペルシャ絨毯の歴史と背景をご覧になっていかがでしょうか。ペルシャ絨毯は美しいデザイン、材料、職人の技術が数千年にわたって培われてきました。このような要素から、イランの芸術と文化の象徴とされています。イスラム建築はヨーロッパの文化に強い影響を与えています。
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